伝統ということは意識します。
それは無駄が省かれたものだから。
(「はーいビスカス会館」での質疑応答・8年1月)
司会
いつも和力の公演を見るとそのまま帰るしかありませんが、今日は、こうして身近に和力のメンバーとお話しする機会ができました。
質問がありましたら、なんでもご遠慮なくお聞きください。
質問
今日の演奏は、すばらしいコラボレーションでしたが、3人はどこでお知り合いになったのですか。
朗
ぼくと木村さんは、木村さんが18歳の時、ぼくが19歳の時に太鼓のグループで知り合いました。ちょうど今から5年くらい前ですか(笑)
(「20年前でしょ」と会場からの声)
小野さんはぼくが生まれたわらび座という劇団で一緒に育ったので、小さい頃から知っています。
なので、みんな長い間、一緒にやっていますもので……。
質問
それで息が合うのね。
司会
他によろしいでしょうか。
質問
テレビのドキュメンタリーを見たのですが、素晴らしかったです。これからも阿智村に根を下ろして活動をされるのですか。
朗
木村さんは埼玉県にお住まいで、小野さんは宮城県の白石市という所に住んでいます。和力のステージがある前には、みなさんに私の住む阿智村に来ていただいて、そこで合宿をして作品を作っています。これからもずっと阿智村に住んでやっていきたいと思っています。
司会
(前列に陣取る年配のお客様に向って)演奏している間、ずっと拍手してくれたのですよね。
お客様
とっても良かった。
来て良かったなと思っています。去年はじめて「森のホール」で観たのですが、それから頭の中から離れないのですよ。毎日、毎日、加藤木さんのことばかり考えていて……。(笑)
司会
まぁ、恋人を想っているようですね。(笑)
それで、「私が5月(森のホール21)まで生きていられたら、また和力に会いたい」とさっきまで言っていたのですよね。
お客様
頭の中が病気なので、それで5月まで生きていられるかな、と思っているのです。
朗
獅子舞で頭をかじったから大丈夫ですよ。(笑)
質問
私たちは夫婦で参加したのですが、去年、結花(蔵のギャラリー「結花」)さんではじめて観させていただいて、虜(とりこ)になったのですよ。特に主人が……。
お客様
それじゃ、わたしと同じような人がいたわけね。
質問
去年はあれから練馬(6月)、天祖神社(12月)に行かせていただいて、また今年はこうして目の前で拝見できてとても幸せでした。
ますます和力に魅了されて、わたしたちもこれからは追っかけますのでよろしくお願いします。(笑)
司会
はい、どうぞ。
質問
今日は贅沢させていただいてありがとうございました。ひとつの作品を仕上げるのにどれくらいかかるものなのですか。
木村
ひとつの曲をはじめて舞台に上げるときには、それほど稽古はできません。
さきほど加藤木さんがおっしゃったように和力の場合は合宿という形でやりますのでふつうのリハーサルよりも相当、密度の濃い練習をして舞台に上げます。今日やったようなプログラムは、ほぼ何十回と舞台にかけています。
その中で微調整をしながら、おもに省いていく作業をしているのですね。余分なものを取ってみたり、よりシンプルで、より効果的な作品になるように、と。
2,30回、舞台に上げた後は、安定した水準で、平常心で舞台にかけられるようなるのじゃないかなと思っています。
今回のアメリカでもそういうものばかりを持って行けたので、自分たちも自信を持ってできたのではないかなと思っております。
朗
いままで和力も最初からこのメンバーでやってきたわけではないのですね。大人数でやったこともあるし、違うメンバーでやったこともあります。
今のメンバーになって、自分と美意識が共通している部分が多いということで、この3人がとてもやりやすくて、今、やっています。
それで息も合いやすいのではないかなと思っているのです。
質問
和力でないときはどうされているのですか
小野
自分は宮城県の白石市に住んでいるのですが、和力でないときは、「音象(いんしょう)」という木村さんのユニットに呼んでいただいて、一緒にやったりしています。
和力とやらせていただけるようになって、いろいろなミュージシャンとお知り合いになれるようになってきました。
宮城の方でもソロで演奏したり、あちらの演奏家の方とご一緒にやらせていただいたりしています。
その通りのものをやることに意味があるかというと、
特に舞台でやる場合、それはあまり意味がないと思っている
質問
伝統芸能として、和力は、今まで伝承されていたものを転化させながら自分たちの納得する作品を作っていきたいのか、
それとも昔からのものにしっかり根を下ろして展開したいのか、そこのところはいかがなのですか。
朗
ひじょうに難しい質問ですね。(笑)記者会見みたいでなってきました。(笑)
伝統ということは意識します。
なぜかと言いますと、それは無駄が省かれたものだからだと思うからです。
良いものだけが残っていて、途中で飽きてしまったものとか、人にはあまり伝わらなかったことというのは、今のこの時代に到達する前にみんな省かれてきたのだと思うのです。
そういう意味では伝統は意識しますし、鶏舞やその他のお囃子などは、一回はその地元のとおりのものを身につけます。
その通りのものをやることに意味があるかというと、特に舞台でやる場合、それはあまり意味がないと思っているのです。
それはもう地元の方たちがやっていらっしゃいますから。
鶏舞は青森県の田子町(たっこまち)という所の鶏舞をやっておりますが、田子町の方と同じようにやっても、私たちは田子町で生まれ育ったわけではないので、意味がないと思います。
和力のこの部分で行われる鶏舞。
それがどういう風にお客様に伝えるのが自分たちにピッタリ来るのかということを相談したり、感じ合いながら和力の鶏舞をつくってやっていくことが自分たちがやりたいことなのです。
伝統的なものをまったく無視はしないし、そこに込められた願いとか、残ってきたやり方を大切にしながら、それを使って自分が今の時代にどう料理をするのかということを意識しています。
舞うときのあの装束というのは特殊な大きさと裁断があります。
動き方によって生地の滞空時間が違ってくるのです。
質問
奥さんが衣裳をされているのですよね。
朗
舞うときのあの装束というのは特殊な大きさと裁断があるのです。
動き方によって生地の滞空時間が違ってくるのです。
生地が軽いと「かーるい」感じだし、重いと「バッ」とくるし。いくつも作ったり、ダメになっちゃったり、というのがあります。
衣裳については、自分の奥さんには無理な注文をすることが多くて、感謝しています。
質問
「東風」というのは創作までどのくらいの時間がかかりましたか。
木村
あの曲は15年以上前に作ったもので、メロディ自体はぱっと浮かぶものですが、アレンジしていく過程でベストの形になるまでには数年かかったように思います。
司会
ありがとうございました。
和力が松戸で生まれたような気がするくらいに、松戸の人たちは和力のこれからをすごく期待しています。
今日はどうもありがとうございました。
(08年01月「はーいビスカス」会館にて収録)
(編集後記にかえて)
加藤木雅義
伝統とは何だろうと思うことがあります。
3年前の愛知万博で和力は、「日本伝統芸能十八撰」の舞台を踏みました。
その中の演し物(だしもの)のひとつに「鹿躍(ししおどり)」があります。
これは岩手県に伝わる「鹿踊」からモチーフをとった和力版「ししおどり」でした。
本場の鹿踊は8頭の鹿が陣形を色々に変えて踊ります。
和力が万博会場で披露したのは、これに物語性を持ち込んだものです。山の守り神である鹿の仔たちが里におりてきて、田の守り神である案山子(かかし)と出会う物語。仔鹿たちの懼(おそ)れや驚きを太鼓に乗せて舞うものでした。
和力が出演する前日の土曜日に本場の「鹿踊」が同じ舞台で演じられたのは、プログラムでは知っていることでした。
翌日の和力の舞台を偶然に見たかもしれません。その「鹿踊」のリーダーから和力HPにコメントが寄せられ、「ああいう演技をわたしもしたかった」ということが書き込まれたのです。
伝統というのは「型」の世界です。
その伝統芸能を継承しているリーダーが、「鹿踊」をアレンジした――言葉をかえれば「型」を崩した和力の「鹿躍」を評価してくださったのです。
そんなことがあるのでしょうか。
「はーいビスカス」での質問応答で朗は、伝統のことにふれて言います。
「伝統ということは意識します。
なぜかと言いますと、それは無駄が省かれたものだからだと思うからです。
良いものだけが残っていて、途中で飽きてしまったものとか、人にはあまり伝わらなかったことというのは、今のこの時代に到達する前にみんな省かれてきたのだと思うのです」。
愛知万博に出演する同じ年に、朗が地元の阿智村でお世話になっている、「石苔亭いしだ」という温泉ホテルを経営する若旦那から、私はお手紙をいただいたことがあります。
若旦那は京都の茂山狂言会で狂言を修行されていて、お手紙にはそこでの心得を説いてくださっています。
「……自分らしい太郎冠者を演じようとしてはいけない。ただただ、形を覚えなさい。
こうしたらもっとお客様が笑うだろうとか、こうしたら情景がもっと伝わるだろうと考えてみても、
それは650年の狂言の歴史の中で、誰かが必ずやってみて、それらのすべてが淘汰されたものが、今、口伝されている形なのだから……」。
と若旦那は狂言の先生に教えられるのだというのです。
これを見るとおり、やはり伝統は「型」の世界だったのです。
しかし、650年狂言の伝統を習っていて、それに押しつぶされそうになっても、「今ここに生きている自分は自分だ」と主張し葛藤することは、修行者の心としてあるのは、また事実だと思うのです。
「自分たちには何もないことがわかって」(和力パンフレット所収)にあるインタビューの後半部で、朗が劇団から独立をして、それまでセッションを繰り返してきた相手に何か違和感を持ってしまったというくだりの部分があります。
「……伝統の場合は大きなものがあって、でもそれに飲み込まれないように立ち向かっているというか。飲み込まれないように『俺は俺なのだ』という音を出したり、リズムを刻んだりしています。……」
それが伝統芸能を習得する者、特有の苦悩、葛藤だと言っています。
そういう修行をしてきた朗にとって、最初から「私のオリジナル曲です」と言っている方たちと組むことで、自分にとって何か違うものを見てしまったというのです。
ですからその時には、伝統の重さに葛藤することも含めて、朗にとって伝統の型を覚えることは骨の髄までしみ通っていたのかもしれません。
そして自分の中で伝統との折り合いを見つけた思いを今回の質疑で明らかにしたのです。
「そういう意味では伝統は意識しますし、鶏舞やその他のお囃子などは、一回はその地元のとおりのものを身につけます。
その通りのものをやることに意味があるかというと、特に舞台でやる場合、それはあまり意味がないと思っているのです。
それはもう地元の方たちがやっていらっしゃいますから。……」
「……伝統的なものをまったく無視はしないし、そこに込められた願いとか、残ってきたやり方を大切にしながら、それを使って自分が今の時代にどう料理をするのかということを意識し。ています。……」
伝統芸能において朗は、「型」の他に、「そこに込められた願い」という精神性を受けとめることを言っています。型だけをいくら踏襲しても、そこに込められた精神を受け継ぐことがなければ伝統芸能の継承にはならないと言っているのかもしれません。
一旦、伝統を身にまとい。
それから脱皮をする。
まるで松戸公演のタイトルのように「羽化」が和力のテーマにあるような気が私にはするのです。
愛知万博での「鹿躍」が、本場の「鹿踊」の込められた願いを踏まえず、全然、別なものだとしたら、リーダーは、はたして「ああいうものをやりたかった」とおっしゃってくれたのかのかどうか、と私は思っているのです。