ブログ 雅義の「楽屋裏から」
08.04.12より
(17) ANAインターコンチネンタルホテルでのライブ 加藤木 桜子 08.10.26
そして、この日はBGM的な位置づけだから、多くのお客さんは飲み食いをしたり名刺交換をしている。
それでも、和力の演奏は、ホールで客席に向かってやっているときと変わらない。
「どうせ聞いてないや」と投げやりになるわけでもなく、「えーい!聞きやがれ!」と誇示するわけでもなく、
ただ、自分にできるすべてのことをやりきろうとしているようでした。
(16) 異境について(関東連続公演を見て) 08.06.22
しかし、今こうして戸口に入れない自分がこの世の人間でないことを、そのお札の存在で知らされるのでした。
お露は彼岸の世界にいってしまっている自分をどれだけ恨めしく思ったのか。
戸口のお札によって、愛し、求め合うふたりが「異境」を隔てて住む人間同士だったということがわかってしまうのです。
その晩、花嫁衣装に身をまとったお露がやって来て、新三郎の家の戸を「トントン」と叩きます。
(15)練馬連続公演を終えて 加藤木桜子 08.05.14
今、練馬のあちこちで、和力公演に来てくださった方の意見を聞いて歩いていますが、
「朗さんがたくさんの役割を果たしていたのもすごかったけれど、三味線も笛もお琴も、それぞれ全部良かった」と、
4人の役割を全部覚えてくださっている方がたくさんいることを感じます。
アンコール演奏をあえてやらなかった甲斐(?)があってか、皆さんの心に残っているのはやはり「牡丹燈籠」のようです。
(14) 練馬「音綯ひ」公演をして(加藤木桜子のブログより転載) 08.05.12
なんというか、自分自身の日頃の感情にひきつけられて、グラグラグラと心が揺さぶられるような……。
私は人前で泣かないことにしているので、涙は出さないけれど、できることなら一人で見てえーんえーんと涙を流したくなるような、切ないけれども琴線に触れるお話が、最後にあります。
明日も一日、「ゆめりあ」で見られるので、私としては幸せ。
(13)和力版「怪談・牡丹燈籠」のあらすじから 08.05.12
遠くで下駄の音が聞こえてきます。
花嫁衣裳に身を包んだお露が登場。新三郎の玄関の前で戸を叩くが、入れない。
笛とお琴と三味線が静かに奏でる「花嫁人形」の曲が哀しく流れます。
障子の前で狂おしく舞うお露。大太鼓で自分の哀しみを打ち付けるお露。
太鼓の音はどんどん盛り上がり、三味線も箏も笛も加わって、最後のバチが「ドーン」とふり下ろされると、同時に舞台中央の障子が客席側に倒れる。
(12)「体調を崩し……」 07.08.12
しかし、昨年の末あたりから、その妄想が浮かんでこないようになってしまったのです。したがって書くべきことがらが浮かんでこない。
こんなことは、半世紀近く生きてきたわたしには初めての経験でした。
結果的には、この湧き出る妄想が癌に喰われていたということだったのかもしれません。
(11)獅子舞の新たな発見は 06.12.28
ずっと以前のインタビューで、朗が、「舞台では良い音を出せるだけでなくて、立ち居振る舞いも含めて、美しい動きをしたい」と言っていたのを思い出します。
わたしたち観客は何気なく、獅子が立ち上がるのを見ていましたが、それも鍛錬と芸の力があったのだと、わたしはひとりで感心せざるを得ませんでした。
(10)武蔵野公演レポート 06.11.03
独楽の道具箱を運んだときには、それを押していたのでまだ良かったのです。椅子を持って登場した場面では、手に椅子があったのでどうにか形になりました。
しかし慧は、椅子を置けば、手ぶらで下手に帰らなくてはなりません。
顔もどうして良いのかわからないのに、何もない両手もどうして良いかわからない。手持ちぶさたで、両手がだらりと下がったままで歩きます。
(9)阿智村訪問の録画ビデオを見て 06.09.29
「もうひとりの息子は?」と女性が慧のそばに近づきます。
「女の子です」と後ろから朗にいわれて、びっくり。
慧は白足袋、黒い股引(ももひき)に黒い腹掛け姿の太鼓打ち姿。その上に黄土色 の半纏を着て、頭はショートカットです。
他人には性別がはっきりしないのかもしれません。
腹掛けの下に黒いTシャツを着(つ)けているのですがよく見るとその胸元にギャザーがあしらわれていて、それが少しだけ見えます。そのさり気なさが、本当は
女の子らしいのです。衣裳部のおしゃれの気遣いがここにも垣間見られます。
「でも慧は、おんなおんなしていることよりも、むしろ男の子に間違われるのは嫌 ではないのですよ」と、
朗が昼神温泉で言っていたのを思い出します。
(8)母燈道(ははとうろう)を見て 06.05.16
観客の目には赤ちゃんを抱いているとしか思えません。舞が激しくなるにつれて、それが御幣(ごへい)だったことがわかってきます。
一方、母親が舞っているあいだ中、童女の捨てた風車(かざぐるま)は淡い光量でピンスポットを浴びています。
相変わらずわずかの光量で、わかる人にしか気づかれません。
母親は御幣を振りながら激しく舞い、ふと足を止めて振り向くと、足元に風車(かざぐるま)が落ちているのに気付きます。
舞台の静寂。
母親の驚き。
母親と童女を結んでいたのは、そして、あの世とこの世を橋渡ししたのはこの風車(かざぐるま)だったのです。
母親は膝まづき、いとおしそうに風車を拾い上げて自分の胸にかき抱きます。その母親の仕種さ、情感がレンズを通して私の胸を打ちます。
その時、この舞の意味が私には初めてわかったのです。
(7)名古屋千種座公演 はじまりはじまり 05.12.29
「そろそろ合わせ稽古が始まります」という場内アナウンス。携帯の時計をみると、午後4時です。
座席場内の最後部に入り、ビデオカメラをセットして合わせ稽古をしばらく見つめます。
飲み物を買おうと、会場からロビーに出ようとすると、もうたくさんのお客さんが開場を待っています。
すでに6時を過ぎています。開場30分前です。
開場時間が過ぎて、お客さんが正面の席を目指して走ってきます。千種劇場は舞台を囲むように客席がグルっと円形になっています。
(6) 「目の前に急に現れた」
時間がない、本番前で気持ちがナイーブになっている。あの時の朗の心中はいかばかりだったのか。
私はとんでもない中でインタビューを始めたのでした。
しかし、朗は動じません。運転をしながら、にこやかに助手席の私の質問に答えてくれます。今から考えれば顔から汗の出る思いです。
それで出来上がったのが、今回のパンフレットの目玉となる「自分たちには何もないことがわかって」だったのです。(ホームページ所収)
あのインタビューは演技する者としてそういう極限状況の中で、たった1時間の中で生まれたものでした。
(5) 「枝葉末節にこだわって」 05.12.11
『どうぞ』
朗が開けた戸に促されるままに明るい家の中に入りました。
朗に続いて、『おじゃまします』と家の中に挨拶をしながら入ります。
私が後ろ手で戸を閉めようとすると、物体が外から家の中にものすごい勢いで入ってきて、どこかに行ったのです。
それは私が閉めた戸に一瞬はさまれ、素早くすり抜けていきました。私の手には取っ手を通して獣の質感が残ります。確かに黒い色だった。
実態が何だかわからないと人間は恐怖に襲われるものです。
外に飼っている狼とよい、今の黒いものは一体何なんだ、と私はしばし我を忘れて玄関に立ち尽くしたのでした。」
(4) 小さな丸い円が舞台 05.11.09
しばらくそれを見て、ふたたび駅に向うと、遠くの方から軽快なアコーディオンの音が聴こえ始めます。
上野の寛永寺のそばの桜の木の下で、ベレー帽をかぶった美形の女性が、演奏をしているのでした。
曲が終ったところで、それを遠巻きに聴いていた、ホームレス風のおじさんたちがガードレールに腰掛けながらまばらに拍手しています。
お辞儀をして、女性は次の演奏を始めると、とってもポップでうきうきするような曲調です。前には投げ銭を入れる籠が置いてあり、手書きで「$」のマークが書かれています。
ふと足元を見ると、地べたに樽の蓋と同じくらいの大きさの丸いベニヤ板がさりげなくおかれ、その上に乗って演奏をしているのです。
この丸い円は、きっと彼女だけの小さな舞台なのでしょう。
私が北斎のように絵の才能があったのなら、この情景を「手風琴(アコーデオン)を弾く女」として描いていたのにと、しばし自分の才能の無さを嘆くのでした。
(3) 初めて可愛い声との出会い 05.10.16
ふと、横をみると、朗が独楽の芸で使った刀を仕舞っているところです。そばで慧ちゃんが、刀の本当の値段を聞いています。
独楽の芸で、刀の先に長い棒を載せながら、「我が家に代々伝わる――刀」と値段をいう場面を舞台横で見ていて疑問に思ったのでしょう。
きっと、あの時、舞台を見ていたすべての小学生がみんな同じ思いだったろうと思われます。
「これは○○円で買ったものだけれど、でもね、刀の本当の値段を言っても、おもしろくとも何ともないでしょ」と朗がやさしく説明をしています。
(2) 親子3人でステージ作り 05.09.19
ばち捌きの美しさに客席は圧倒されて、八丈太鼓は終わりました。あまりのことに、私はカメラのシャッターを押すのを忘れていました。
もちろん、その太鼓の演奏自体が良いのでしょうが、大道芸があって、そして舞があり、その中で和太鼓が演奏されるので、その圧倒感はさらに強まるのではないかと私には思われます。
たぶん、和太鼓のみの演奏でしたらこれほどの緊張感は持続できないのかも知れません。
(1) 屋外で映える鶏舞(テレビ信州のニュースをみて) 05.06.03
そういえば、3月に私が阿智村の朗宅にお邪魔したときには、1階の広間では薪ストーブが活躍していました。
床や壁が白木の家造りで、ここには薪ストーブがとても似合っているのです。
黒猫がそのストーブの前で座っているのも絵になっています。
「このストーブは家を造る時にあつらえたものなの?」と私が聞くと、「いや、ホームセンターで買ってきました」という素っ気ない返事。